FC2ブログ
Photo Gallery

【実は入力信号が最も重要!】身体の動きを取り戻すための近道。リハビリのこころえ。

  14, 2018 16:09

入力信号を大切にしてこそ身体の機能が戻る


792.jpg 

リハビリについての記事です。
患者となる息子の状態は以下です。

3歳息子。
ウイルスにより急性弛緩性脊髄炎となり、
神経麻痺の後遺症を残しました。
内容は、
・腕を動かせない
・首がすわらない
・上肢のぐらつき
です。
分類としては
上肢・肢体不自由1級
となります。

どこまで治るかは不明と言われていますが、
1年程かけてじっくりリハビリに取り組めば
どんどん動かせるようになるとのこと
(実際目に見えてできることが増えていっている)
で、リハビリセンターに通っています。

本題に入ります。

息子の担当はリハビリセンターの主任さん。
リハビリセンター通所初日によい話を聞けたので
記憶に新しいうちに記事にします。


入力信号が身体の機能を取り戻す上で重要なカギとなるということです。
「リハビリに従事するスタッフも、ご家族も
出力を意識するあまりに入力してあげることを忘れてしまいがち。」
と彼は言いました。


入力信号の概念


ここで言う入力信号とは
「刺激を受け取る」ということです。
逆に、出力は
実際に運動をする、体を動かすこととします。

とくに麻痺で体が動かない状態のとき
ずっと動かしていないと人間の脳は
その部位の動かし方を忘れていきます。

意識とは別のところです。


リハビリ=運動

ととらえ、実際に動きにくい箇所のトレーニングをしてしまいがちですが
足が動きにくいからと、ランニングマシンのようなもので足を使わせるとします。
(それが有効でないということではないのであしからず)
しかしそれは「運動させられている」という感覚であり
脊髄の信号だけで成り立ってしまうのです。
脳がここに足を運ぶぞと積極的に指示している状態の運動ではありません。

リハビリの目的というのは、
ただ動かせるようになるというより
本人が以前のように
思い向くまま身体を動かすことができるように。
ということであります。

本質的に身体の機能を取り戻すためには
入力(刺激)がともなった出力(運動)をすべきなのです。

もくじ










入力をともなう出力を意識する重要さ


 
入力をともなう出力とは
たとえば床にボールが置いてあるとします。
それを認識した上で、蹴って遊びたい、
と意識して足を蹴りだすような動作がそうです。
いたって日常の動作です。


しかしこれが麻痺患者になると
介護する側の者が、麻痺した身体を動かしてあげることになります。

うちの息子の場合だと
左腕の麻痺が強いので
寝返りを打つ時に腕をうしろにひねる格好になってしまうため、
麻痺している左腕を、麻痺の軽い右手に組ませてから寝返りを打たせます。

その時に、
「腕をちゃんとささえるんだよ」
と腕を持ってきて組ませてしまうと
脳は腕を「モノ」と認識します。


それは自分の腕ではなく

「母に渡された何か」なんだと。

そして徐々に脳はその腕を忘れていきます。
脳の、腕を動かすコンピュータルームがなくなったとしたら。
いくら指先や腕から入力信号が入ってきても、
その信号が帰る場所がありません。
入力ができないので、出力もできません。

そのために、入力信号が帰る場所を
残してあげないといけないそうです。

介助のコツは後述します。



次は、入力される脳のコンピュータルームが消えてしまった場合です。





脳が身体の動かし方を忘れたら


では実際、脳が身体の動かし方を忘れてしまった状態とは
どのような様子かというと。

たまに、耳をぴょこぴょこ動かせる人っていません?
はるさんはできるんですけど(笑)あれってできない人が多いらしいです。
あれができない人に教えてあげるようなものなんだそうです。


人間の機能的に、できないことはないんですが
感覚は口頭では伝えにくいですよね。
耳ぴょこぴょこできない人をできるようにしてと言われたら
むずかしくて困惑してしまいそうです。

耳の例はまだかわいいものですが
脳が動かし方を忘れてしまった場合
それを取り戻すのは
不可能ではないがより労力のかかる仕事だと理学療法士さんは言います。











動かなくても入力!やるべき2つのこと


入力という刺激は
その部位が動かせずともいくらでも
介助者の手によってあたえてあげることができます。

ここでは2つご紹介します。



1.さわってあげる(さわりかたにコツあり。後述)
2.動画をみせてあげる


どちらも、要介助者が動けなくてもできることです。
積極的に行うとよいそうです。

たった3日でも、これを積極的に行うか行わないかで、回復が違うそう。






さわってあげる


「さわる」とひとくちに言っても
受け取る感覚は細かいものです。

さわられた手が
あったかいとか冷たいとか
圧がかかっているかかかってないか
痛いか痛くないか。

その感覚を受け取るセンサーは
皮膚にまばらに点在しています。

混在しているわけではありません。

たとえば皮膚の一部を超拡大して見てみると
センサーが見えるそうです。
痛い、をつかさどっているセンサー。
熱い、をつかさどっているセンサー。

舌についている味蕾(みらい。あのつぶつぶ。)のようなものです。


それらを刺激するために体をさわるのですが、
そっと撫でてもあまり意味がない。
もむのもあまり意味がないそうです。
ほぐすのではなく刺激を与えたいので。

センサーすべて刺激するために、
さわり方にもコツがあるそうです。


すこしぐっと圧をかけるような気持ちで。
腕なら
肩から手にかけてズー、としごくように。
先生監修のもと実践していましたが
感覚的には
アロマとか使ってよくやるハンドマッサージ。
あれに近いです。
実際、マッサージが目的ではないんですが
あれくらいが力加減の参考になります。


事故などの脊髄損傷でも
入力をきっかけに回復が早まることがあるそうです。
ではもうひとつの方法にいきます。







動画をみせてあげる


これについて、馬鹿にするかたもいらっしゃいますが、と前置きして先生は言いました。

どのような動画かというと、
先天性でないうちの息子のような場合
持っている方多いのではと思うのですが
「当人の身体が不自由なく動かせていた時の動画」です。


わたしの場合はスマホにたくさん保存されています。
公園であそんでいる息子とか。あんなのでいいんです。



その時の自分を見ることによって
感覚を思い出すんだそうです。
少なくともその部位の脳が、動画を観た時に活性化するということは
実験結果としてすでにあるようです。

わたしたち健常者であっても、動画で見返すことによって、
写真とは違リアルさを思い出したり
感情を思い出すものです。

これに効果があるのもうなずけます。
正直いっしょに見返すのもツライですが(^-^;


やって何も害がないし家族が簡単にできることなので
どんどん実践していきます!!







介助のコツ


そのほかの部位も動かない場合は
入力をできるだけ毎日行ってあげることが重要ですが、
もしも他の部位が先に回復してきたり、動く部位が別にあったりする場合は
以下記事をご参考にしてください。


息子の場合、
動かない左腕を右腕でつかむことによって
ひねったり下敷きになったりすることを防ぎますが
本人が忘れることが多いので
母のわたしはしばしば左腕を右手まで近づけてあげて
「掴んでね」と指示していました。

これをすることによって
自分の腕が「モノ」という認識になるというのは先述しました。
口だけで指示するのも違うそうです。

一番よいのは、
このままでは左腕をひねってしまうな。と彼が認識して
自発的に掴みに行くなどの運動をすることだと理学療法士さんは言います。

ではどうすべきかというと

彼が左腕を忘れて寝返りをうってしまいそうになったときに
ちょんちょんと左腕をさわって
存在を知らせてあげること。
「あ、忘れてる」って気づかせて、
自ら腕を迎えに戻る動作をするようにうながしてあげる。

または、抱っこの時に
さりげなく左腕をかばいやすい位置に右腕をもっていくような抱き方をする。
など。

自分で気付いて(入力)→行動する(出力)

パターンを大切にすると回復にもよい影響を与えるのだそうです。



以上が本日のリハビリで学んだことのまとめです。
運動と並行して行ってあげたいと思います。
不自由とたたかう人の助けになりますように。





S__34488323.jpg 






もっとみやすくなったよ☆ブログおひっこしのおしらせ☆

  14, 2018 01:12
ブログお引越ししました☆

みやすくなってリニューアル☆

↓画像リンクからみにきてね☆↓
 ご愛読くださった方たちに感謝♪これからはより優良な記事を
生み出せるようにがんばります\\ウォォ ٩( 'ω' )و ////

当ブログは雑記ブログとして残します☆

2.「今すぐに病院へ来てください」呼吸停止の知らせ(3歳の子供が急性弛緩性脊髄炎になった話)

  19, 2018 00:49
もくじ

S__34054164.jpg 

呼吸停止で集中治療室へ

検査入院2日目。2018年10月11日。

相変わらずベッドで横になったまま動かないK。

この日はリハビリのST(言語聴覚療法士)さんによる
嚥下の練習で
ゼリーを食べさせてもらう予定をしていました。
絶食が続き、ほぼ水分の点滴のみで過ごすKを心配に思うわたしたち両親が
ささやかながら楽しみにしていた時間でした。

3歳ということで、必ず付き添いが必要であるため、
病院の嚥下の練習前に、Kにはパパに付き添ってもらい、わたしは入院に際して必要な
泊まり込みグッズ(Kのパジャマやわたしの服、タオルなどなど)を更新しに家に一時帰宅しました。

(ちなみにですがミラクルなタイミングで、入院日はパート退職の日でした。
そのまま仕事を辞め病院の付き添いに入ったので、幸いなことに仕事の心配はありませんでした。
金銭的な心配はモチロンありますが)

家に帰って、さて必要なものは揃えたしあとはカバンに詰めるだけ。というタイミングで
電話がかかってきました。
主人からかと思いディスプレイを見ると

【県立病院】とありました。Kが入院している病院でした。

Kが突然弱るとは思えず、
病院側が取り急ぎ聞きたいことがあるとか
そんなことだろうなと思い電話をとったので
知らせを聞いて愕然としました。

緊急のため言葉を選ばずまっすぐ伝えてきた看護師さんの言葉が刺さりました
『Kちゃんの呼吸が止まって重症です。今すぐ病院戻ってください。くれぐれも道中気を付けてください』

え。呼吸止まる。。

重症。。

すぐ来てということは。。

その時わたしはちゃんとはい、はい。と間違いなく受け答えしていて
パニックにはなっていないもののなんだか思考の処理が追い付いてこなくて。
当時家で行っていた通販業の、当日中の発送業務もあったため
必要書類を素早く詰め込むほどの冷静さはあったはずなのですが
今になってこの時のことを振り返ると、
ショック過ぎて端々のことを覚えていない自分がいます。
少なくとも、後に荷ほどきした際ほんとに入れた記憶がないとか
どこに入れたかわからない現象はありました。


我が子の命の危機など夢にも思っていなかったのに、
突然にやってきた知らせ。
病院へ向かうため乗り込んだ車の中で

Kが死んじゃったらどうしよう。
なんでKなんだろう。私だったらよかったのに。
わたしは死んじゃったってかまわないからどうかかわりにあの子を生かせて欲しい
お願いだ。と非論理的な事を頭のなかで何度も繰り返したけど
一体誰に願ったらいいのかとふと思って
余計に悲しかったり。
こんなに衝撃的なことがあっても周囲の景色、空気は変わらないし、
誰しも衝撃的なことはご経験あると思うのでわかってもらえるかもしれないけど、、
あの時の、心と外界の温度差がなんとも言えず気持ち悪かったのを記憶してます。

冷静なんだかパニックなんだか、わたしは
泣きながらもちゃんと信号守って事故らず病院まで運転して駐車場にちゃんと停めたようです。不思議。
(記憶とか感情とか、短期記憶とか長期記憶とか。脳が担う部分がそれぞれ別だからなせる技ですね。
生きてるってすごいな。最近よく思う。ひとつひとつの人間の動作が奇跡だなって。)

病室につくまでに待ちきれず、車のドアを閉めた瞬間
Kに付き添っていたパパに電話しました。
『呼吸は?』とたずねたら

『今は呼吸回復した。さっき目が合ったはずだからたぶん意識もちゃんとある』

と伝えられて
あ、生きてる。目が合う。意識があるんだ。って安堵して
今度は別の意味でどっと涙があふれて
人目もはばからず
『うゎーん、びっくりした、ほんとうに心配した!!』
とわんわん言いながらはや足に病室へ向かったのでした。


病室へ到着すると、
主治医の先生たち(チーム組んでるので2人)が病室の外でパパと話しているところでした。
病室ではまだ処置が行われており両親も入ることができなかったため
気になって気になってしょうがないものの、必然的に先生たちの話をきいて状況把握に徹することになりました。

その時説明された内容は次の通りです。
・先日からごろごろしていた喉は
嚥下が弱っている証拠であったこと。
・その状態を放置すると誤嚥による危険があるため
・対処療法的に喉にからまるタンを取り除こうとしていたこと。
そしてそのタンを器官に落とし気道が塞がれて呼吸停止に陥ったこと。
・アンビュー(応急用の呼吸マスク。口と鼻を覆って勢いよく空気の圧をかけることで呼吸を促すもの)処置で呼吸回復し意識も戻ったこと。

後にこの時のことを、処置ミスではないかとパパは言いました。
なぜそのような危険な作業(本来看護師が行ってもよい処置だが)を
医師ではなく看護師に行わせたのかとも。
実はわたしもそれには同意見でしたが
過去を悔んでもしょうがないので、これからできることとして
・そのような処置は医師監督の元行ってもらうと医師に伝える
・元々嚥下が弱っていたのは確かなので処置があろうとなかろうといずれICU(集中治療室)だったと納得する
にいたりました。
(無事であったからこそ気持ちもおさまったものの
これが最悪の事態になった時には論理的思考などぶっとんでかなり攻撃的になっていることでしょう。本当はそれが原因でなくても。
他にもアンビューより前に誤嚥の応急をしないと肺炎の危険性がないのかとか頭をよぎりましたが
疑い出したらキリないです。
呼吸停止後1-2分で心臓が止まるので肺炎も軽度で脳に後遺症を残さなかったので心停止を引き起こさなかったことが結果的に良かったと思っています。)

できれば共に頑張って動いてくれる医師や看護師さんたちは疑いたくないものです。
人間相手なので、ただただ仕事、毎日の業務の一環だと思って淡々と処置されるのだったら
正直やめてほしいですが、
少なくとも親身になってくれる方々であったし痛めつけようとしているわけではないので。
協力関係が築けないと思うならその病院はやめた方がいいかもしれない。
今後の生活のことなどなんでもさらけ出すことになるし
(なんなら先生や看護師さんたちを車にも乗せて走ったし今度自宅にもいらっしゃっいます。
退院後の生活のためです。)
嫌なことは正直に伝えた方がいいとも思う。
わたしは最初の担当医さんを申し訳ないですがお断りしました。
彼にはききたいことが聞けないなと感じたからです。(あとノリが営業トーク。笑)
なんでも聞ける、なんでも言える。←これ大事。って、入院生活2か月めの現在ひしと感じてます。
この記事がこれから入院生活の方に参考になるといいなと願っています。


まわりみちしましたが、そんなこんなで
連絡を受けてから
Kに会えないまま、Kは集中治療室へ入ることになったのでした。
集中治療室へ移動が決まってから、
実際に移動し面会が可能になったのはそれから2時間ほど後でした。
集中治療室前の家族待合室で
心配でかけつけた親族と喋ったり
泣いたり、黙ったり、気遣いあったりしながら待ちました。


そしてこの日STさんによって食べさせてもらえるはずだったゼリーの予定は
なくなってしまったのでした。




スポンサーリンク


ICUへ移動してからの病状・投薬の概要

ICU(集中治療室)に移動した当初の様子はどうだったかと言うと。
点滴をしつつ酸素マスクを一日中つけていました。
意識はあるし、時々弱弱しく喋るものの明らかに起きている時間が短く、
ときどきふいに目をとじて
うたたねしているような状態でした。

脳波をとったら、3歳児にしては未熟でまるで眠っているかのように
波形が小さい脳波だと言われました(徐波。というほどでもないが弱い)
呼吸停止に陥ってから3日間ほどその状態でした。
うたたねするようにふと目を閉じるのは意識レベルの低下の裏付けのようでした。
(ちなみに2か月たった今現在の脳波はまるきり正常です。覚醒。)

というか目をとじるのですが、
片目は半目でしろめ状態でした。
それは顔の麻痺のあらわれでした。



マスクでからからになった唇は皮がべろりとむけて
歯は乾燥でまっしろになって
酸素のリークで目もしぱしぱしてさらに片目は閉じ切らず、気の毒でした。
小さな腕は点滴のための板と管がまかれたかまぼこ状態で、入院したときから変わらずずっと点滴を行っていました。
しかし点滴の内容は変わっていきます。後述します。
集中治療室へ入ったのを機に事が一気に動き出したというか
治療を焦るきっかけとなりました。

顔面麻痺もみられ意識レベルも低下。
脊髄系の炎症でこわいところは
一週間でガクッ!と悪くなるということ。
(事故などの外傷で一気に脊髄を断裂してしまった場合は
ステップを踏んで麻痺していく過程をすっとばしているので
炎症とは進行が違います。)

発症してから一週間で一気に症状が進行するそうです。
ICUに入ったのは発症と思わしき日から4日め。
たしかに、とんとん拍子に病状が悪化していくように見えました。

さらに、さいしょの記事↓でも触れたように
1・身体が動かない…。3歳のうちの子が急性弛緩性脊髄炎になった話
この病気に効果的な薬は現在の時点で存在せず
対処療法的アプローチしかなすすべがないのです。
だから悪化していくのを
死ぬな、悪くなるなと祈りながら見守るしかないのです。
でも、起きている炎症に対して炎症を抑える薬を投与できるのなら
投与してすこしでも悪化をくいとめたい!

検査結果の中には時間がかかるものもたくさんあります。
でも原因となる病気がハッキリ分かるまで待っていては
手遅れになってしまうので
考えられる原因をいくつか打ち出し
それらに効くであろう薬をかたっぱしから入れて
病気の進行を止めよう止めようとアプローチするんです。
だから
症状が悪化して悲嘆している場合ではありませんでした。
(もっとも、対処療法であるため脊髄炎で使用する薬はだいたい限定されてきますが)

両親であるわたしたちは、考えられる病気について
正しく理解し
処置について理解し同意する必要がありました。
気持ちが追い付いていかなくても
頭はちゃんと回転させなければいけません。
たくさん同意書を書きました。

中には、患者の情報を学会などで提供(住所や名前など個人が特定されるものは除く)
してもよいかという同意書もありました。
提出は自由ですのでこの時は記入しませんでしたが
後に情報の少なさを感じ他の患者さんの役に立てばと提出をいたしました。
(わたしたちは提出しましたが
感じ方も必要性も人それぞれですし、提出しないという選択も正しいと思っています。)


冷静で居なければいけないのに
気持ちはいっぱいいっぱいで
今思うと異常なくらいに涙腺ももろく10分に一度は涙が出そうになる日々でした。

Kが

みんなでおうち帰ってごはん食べたい。
って言えば切なくて涙が出るし

今はどう?よくなった?って誰かに聞かれたって
よくなるどころか悪化の過程を見守るしかできない現状に言葉がつまる。

毎日毎日ふーーっとため息をついて、涙をこらえてばかりでした。
でもほんとに、思い切り泣くことが必要だと感じます。
この時が一番親子ともにつらいと思うから
本当に泣ける場所があるなら
ひとりでも。できれば共感してくれる誰かと。
たくさん泣いてください。

もし同じような状況のお母さんがいらっしゃるのなら伝えたい。
気持ちがおいつかないのは自分が悪いんじゃなくて皆同じです。
心配してくれる人はたくさんいるけど
イチバンその子を愛してるのはお母さんなんだから
イチバン取り乱してあたりまえです。泣いてもいいです。
大泣きして大丈夫いたって自然なポジションです。
がまんばかり、しないでくださいね。





ステロイドパルス投与
ICUに入ってから変わったもののひとつに点滴の内容があります。

このステロイドパルスとは脊髄炎ではポピュラーというかよく使用される薬です。
抗炎症作用、免疫調整作用があると言われています。
このとき原因となる病名ははっきりしておらず、
診断書をいただいた際は『脳脊髄炎』という名で
広範囲でぼやっとした診断名でありました。

髄膜炎にしろ脊髄炎にしろ、このステロイドパルス療法は効果がみられるということで
原因がはっきりしなくても投与すべき薬として推奨されました。
同意書を書いて最終的に決断するのは両親でありますが、同意するしか選択肢はありませんでした。
悪くなり切ってしまってから投与したところで、
発症以前の状態に戻すための薬ではないため手遅れになってしまうからです。
一刻も早く、薬の効果より足のはやい病気をくいとめるために早期の投与が求められました。
後遺症の説明もありましたが現状がどんどん悪くなることを思うと
副作用の危険性より投薬のメリットの方が圧倒的に高いと判断し
トントンと書類を書いていきました。

ステロイドパルスは容量が決まっており、一日2時間程度の点滴を
3日分けて行います。
3日間の投与で1クール(1期分)となります。

この3日間が終わって効いてくるのですが、この期間が本当に長いです。
その間にも病状は悪化していくので
薬に意味があるのかもわからず不安になってしまいます。
本当に忍耐の日々です。

ICUには付き添い入院という制度はないため、面会というカタチで会うことになります。
毎日毎日、ICUに通い朝から晩まで付き添う日々。
(本当は面会時間15分とか決まっているんですが、3歳ということと、
母の言うことじゃないとあまりきかない、母が居ると穏やかに過ごせているとの看護的視点から
特例で入りびたりを許されていました。申し送りの時間も。懐の広い方たちに感謝しています。
)
1クール終えたところで病気の進行の足がだいぶ遅くなったのを実感しました。

担当医さんとそのチームの方たちは、軽率なことは言わないので
進行がとまりましたとは絶対に言いませんでしたが、
このへんが折り返し地点(悪化が止まり回復へ向かう)なんだろうな。というのは
毎日様子を見ていたらなんとなく感じ取れました。

ちょうど、危険だとされていたはじめの一週間が終わった時のことでした。

この時Kはまだ水分の点滴と酸素マスクをつけており
麻痺は上半身と腕、首、顔面の片側に広がっていました。
両腕ともだらんとして左腕にいたっては指を動かすこともほとんどできず
首の座らない赤ちゃんのように首もふにゃふにゃ。
片方の目は閉じるとあいかわらず半目状態で
ごくたまに笑顔をみせる時があっても、
口角が上がるのは片側の顔面だけ。喋り声もとぎれとぎれの単語分で
小さな細い声でした。
腕や首を触ると、涙を流して痛がりました。


ステロイドパルスは1クール目を投与してから一週間期間を開ける必要があります。
というか連続して投与しても効果がみられないんだったか。
2クール目の投与を開始しようと思うと、
さいしょの投薬から一週間なので、1クール(3日間)終わったときにはすでに3日たっているという計算で、
実質1クール終了から4日後の投与となります。

Kはステロイドパルスを2クール行いました。
今後おそらくすることはないと思われます。

1クール目で悪化の進行が目に見えて遅くなったこと、
アレルギーなど副反応がおこらなかったということを踏まえて
投与して悪いことはないから、と2クール行うことになったのでした。


現在ICUを出て一般病棟へ移り、
退院の日にちを決められるかという段階で記事を書いています。
次章はICUから一般病棟への道のりとリハビリについてなど書ければと思っています。
わたしは親の立場ですが、看護する方の切実な気持ちが分かる分、すこしでもこの病気
急性弛緩性脊髄炎と戦う方の力になれればいいなと思っています。





↓この記事は2章目です。1章目は下記リンクです。
1・身体が動かない…。3歳のうちの子が急性弛緩性脊髄炎になった話

1・身体が動かない…。3歳のうちの子が急性弛緩性脊髄炎になった話

  24, 2018 13:55
実話。子が脊髄炎になった話。

脊髄炎とひとくちに言っても幅広く、よく目にするのは散在性脳脊髄炎の記事ですが
我が家の子供の場合は脳には異常がないが身体を自分で動かすことが出来ないタイプの脊髄炎です。
病名を【急性弛緩性脊髄炎】と診断されました。
この病名をはっきり告げられたのは入院から13日経過したときのことでした。

2018年11月にはいってちらちらとニュースで話題になるようになりました。

弛緩性麻痺 


このは昨年2017年の12月、日本小児協会によって『届出疾患』に登録された病気です。

携わった医師は管轄の保健所に届け出ることが義務付けられています。5類感染症に分類され、風邪のウイルスにより発症することがあります。

まれな病気であり、

あまり経験者の方の記事がないので

少しでもこの病気と闘う方の励みになればと記事を書かせていただきました。


我が子が発症し1か月がたったころ、ニュースで報じられた病気の内容は

(わたしたちの事例報告により情報ができているためあたりまえと言えばそうなのですが)

ほぼ我が子にあてはまっていました。

弛緩性麻痺2 

弛緩性麻痺3 ↑この28人の中に我が子も含まれています。

身内に特病者なし、本人も健康そのものの児童。まさかこのような大病を患うとは夢にも思いませんでした。ウイルス自体は手足口病の原因菌でもあるのでちまたに潜んでいてもおかしくないが

この症状に至ってしまうのは、運としか言いようがない..。

無意味であると分かっているため考えないようにしているものの、

感染経路を疑ったり、可能性のあるものを憎みたくなる気持ちはいつも心の隅に居ます。



 この記録はわたしの子供が実際に急性弛緩性脊髄炎にかかり、

治るまでの様子を書き留めるもので、

専門的知識などを公開するものではありません。

もしかすると細かい知識、説明に誤りがあるかもしれませんが

医療関係者でないため長い目で見ていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。



もくじ
 
あらわれた症状と入院に至るまで


まずこの脊髄炎の名称を検索すると出てくるのは米国の記事、症例です。

米国をはじめとして日本でもそれらしい症状がみられる患者が増えたことにより

日本小児科学会も警鐘を鳴らしています。↓参考

日本小児科学会HP急性弛緩性麻痺/急性弛緩性脊髄炎ならびに喘息様症状を認める急性呼吸不全症例の多発について


症状については、脊髄炎により負傷する箇所により実にさまざまな形で現れるため

うちの3歳の子供K(以降K)の場合としか言えませんが

この病気と闘い出した人たちに参考になると思いますので書き留めます。


最初は、ほんとうにただの風邪でした。

鼻が出て、たまに咳が出て。

それが週末のことだったので、週明けの朝いちばんに近所の小児科に行って、

痰が切れるおくすりと、気管をすこしひろげるおくすりをもらいました。


お熱はすこし高いかな?ってくらい。

幼稚園にも風邪薬を飲んで問題なく登園できていました。


そして週末。月曜にお医者さんで風邪薬を貰った週の金曜にはほぼ風邪も治り

土曜には公園でパパと戦いごっこをして

はげしく走りまわってチャンバラしておりました。


しかし。

あくる日の日曜日。


朝から、「かたいたい」と肩と首の痛みを訴え泣き出しました。

そしてブルブルッと一瞬けいれんかとも思えるような身震いをはじめました。

ブルブルッ...としておしまい。とおもったら数分後またブルブルッ..。

生後数か月のころけいれんを起こしたことがあるので

まさか..と思いましたが、意識はハッキリ。


じゃあこの身震いの正体は?

と不安に思い熱を数回10分おきくらいに計ってみると

すこしずつ熱があがってきました。37.7..。最初の数時間はそんなもんでした。


でも熱がでてきたので、

・かたが痛い→発熱前の関節痛

・ブルブル→発熱前の悪寒

とわたしたち夫婦は納得してしまいました。

今思えば悪寒のある発熱ならもっと突発的に熱があがったろうと思います。

微熱のような熱が続き、38度台になったのは夕方から夜にかけてでした。


日曜なので病院はおやすみ。

ハナミズも咳もない、熱だけの風邪のようだったので

解熱剤で様子を見ようと思い

家の座薬をいれてあげてその日は過ごしました。


よくないことに、次の日の月曜日は祝日で

また病院がお休みの日。


けれども座薬をいれても熱が下がる様子がないのに加えて

ぐったりしてあまり動かないので

急患センターへ向かいました。


このとき、まだ風邪だと思っていたわたしたちは

強い風邪→インフルエンザ だと思っていました。

インフルエンザの検査をしてもらいに行ったんです。


でも急患センターの先生には

『インフルエンザの検査をするまでもなく秋風邪でしょうね。』

と言ってそれでおしまいでした。

その時の先生も、ぐったりしている様子を見ていたので

それを見たうえで言っているのならそうなのかもしれない。。と思い

さいしょに風邪をひいた時と同じ薬をもらって、またそれで様子を見ることになりました。

この時点では、自分ですこし歩いたりしていて、

待合室では座ると言って背もたれに体を全部預けて(頭も)腕を垂れてぐでっとして

名前を呼ばれるのをまっていました。



そして帰宅。

その後も一向によくなる気配がなく。。

好き嫌いなくごはんをもりもり食べる

食べるの大好きKがひとくちもごはんを食べず。


風邪ひきさん限定特別待遇で

ベッドでごはんをあげても

なんと横たわった状態からひとりで起き上がらない。

枕元にジュースを置いたり希望があればあれこれもってきたり

せっせとお世話していたので

やりすぎて甘えん坊になってるんだと思いました。


『甘えてないで、ちゃんとお座りしないと!』

なんて言って自分でお座りしてと促すと

仰向けに寝ている状態からごろんと寝返るまではできるんです。


あとは腕をついて頭を上げるだけなのに、


その動作が、できない。



まだ甘えているんだと思っていたわたしは

おすわりしてよと怒ってしまいました。


Kは泣いていました。


『だって、できないよう できないよう』


と言ってベッドでわんわん泣きました。


ほんとうに身体が動かないのにわかってもらえなくって

助けてもらえなくって

つらかったろうなと思います。


分かってあげられなくてごめんね、K。


そしてその一件があったきり、

寝たきりになってぜんぜん動かなくなってしまいました。





そして火曜日。

いきつけの小児科が開いている日。朝イチで受診しました。

そこで相談したところ、「なぜ自分で座ることができないのか

原因がわからないので大きな病院を紹介します」と言われ

県立病院を紹介してもらい

いきつけの小児科を出てすぐその足で県立病院へ向かいました。



そしてすぐ

検査入院すべきと言われ入院することになったのでした。

ちなみに検査入院は5日間ほどと言われていました。

家庭の事情も聞かず待たず、サクサク入院の段取りをする先生に

主人はさいしょ腹を立てていましたくらいです。

それほどに、ヤバイ病気が潜んでいると思ってなかったんです。


幸いなことにこれまで身内やわたしたち夫婦は大病を患ったことがありませんでした。

まさか自分の子が重い病気になるなんて夢にも思っていませんでした。

今まで大きな病院に出入りするとは見かけるバギーに乗った身体障害を患った子供たちを

無縁だとなんとも思わずに見流していました。

このようなことを言うと非難されそうですが、今になると、そのご両親やご家族の痛い気持ちが

分かるような気がしてなんとも言えず申し訳なくなります。


腹をたてていた主人も、営業マンのような喋り方の先生に不信感を抱いていたわたしも、

周囲の説得を受け、その日のうちに入院させることを決めました。


『きっと、入院している5日のあいだに

熱も下がってすっかりよくなって、

検査入院なんて大げさだったなあ。なんて言ってるだろうね』

なんて言いながら。







 
はじめの検査・脳をしらべる

 まず体が急に動かせなくなる原因として一番怖くて
あってはならないのが脳の疾患。
脳出血などの場合は早急な措置を迫られるため一日目入院が決まったあとすぐに
MRとCTに入りました。


じっとしていないといけないCTとMRは
年齢的に、睡眠剤をすこし投入する場合が多いのですが、
Kはぐったりして動かないので
睡眠剤なしでトンネル(CT・MR)に入りました。結果は後述します。



そして突然入院が決まり

一夜明けた次の日。入院生活二日目。



ぐったりしはじめてもう丸2日まともに食事をとっていないK。しかし

まだ原因がなにか分からないため食事がとれませんでした。


『おなかすいた』


『おにぎりたべたい。。』


『おうちかえってみんなでごはんたべたい』


って、点滴(カロリーが入ってるわけじゃない。これまた原因不明ということで

検査結果が出てきて病名が絞られるまで栄養のある点滴はできないと言われていました。)

だけでおなかがぺったんこになったKがつぶやくたび、胸が痛みました。

この時から先生たちは

動かない肩や首の神経から、

すでに嚥下がうまくできないかもしれないことを視野にいれていたんだと思います。



それからKの喉が、ごろごろ鳴るようになりました。

タンがからんでいるんです。


それは今思えば、

自分では飲み込んだり吐き出したり

そういう動作ができない証拠でした。


 喋りにくそうにしていましたが、ごろごろする喉は自分ではどうにもできないのか、する気がないのか、ずっとそのままごろごろしていました。

後遺症が残るかもしれないほどの事態になってきているとは夢にも思っていない私たちには

タンくらいで何を騒ぐことがあるのか。って、それぐらいでした。


ほんとにお気楽だったと思います。



それから、

頭のCTとMRの結果はというと。

脳炎や脳出血は今のところまったく見当たらないという結果でした。

ほっとするも、


脳でないということは次はどこだ、という話になるわけで。


人間の脳の伝達は

脳→脊髄→末梢神経

という順で伝達されていきます。

では脳が消えたら次に調べないといけないのは、、

脊髄ということになります。


こんどは髄液検査をしました。

丸くなって背中に痛い注射をして髄液を抜き取るアレです。


髄液は、脊髄をまもっている羊水のような役割の液体です。

すべての伝達経路である脊髄は

骨にかこまれなおかつ髄液につつまれて守られています。



予防接種くらい涼しい顔で受けちゃう3歳児Kでしたが

脊髄の注射はやはり痛いようで、処置中とんと泣いたようでした。



髄液をとって検査にかけると髄液が炎症をおこしているかどうかが分かります。



髄液検査のあと、


血液でいうところの白血球の役割をしてりる

防衛隊の成分が通常より増加しているのがわかりました。


つまり、脊髄または髄膜に炎症がある確率が上がったということです。






 
脊髄に炎症があると発覚

 

  髄液の対抗物質が増えていることから

脊髄の炎症を疑われたため、さらに詳細な脊髄の検査をしました。


・腕が動かない

・さいしょに首と肩を痛がった

・喉がごろごろしている


このことから、炎症が起こっている場所は

首、肩周辺(腕が動かなくなったり首や器官をつかさどっている神経がある場所が

その周辺にあるとのことで)と考えられたため、

首周辺のMRを詳細にとりました。

造影剤も投与しました。


そしてMRの結果(この検査の結果は1日で分かりました)


脊髄の中に白い炎症があることが分かったんです。

脊髄炎と判明しました。

風邪をひいていたことや、病気の進行のし方から

のちに『急性弛緩性脊髄炎』と診断されます。



発症と発覚にいたるまでの経緯がここまでです。

記事は書きあがり次第更新していきます。

急性弛緩性脊髄炎は一度発症するとくいとめる薬はなく、

抗炎症剤などの対処療法になります。

ですから、悪くなるのを止めることはできません。


もう悪くなり切って底をついた。次は回復に向かう折り返し地点だ。

こう思えるところまで、悪化していく病状を見守りながら

死ぬな、悪くなるなと祈るしかないのです。


何もできないことが、本当につらい。


今、この病気と闘う人がいるなら

わたしにもその気持ちがわかるから

いっしょに祈ります。

Kがこの病気になってから、人間って

生きてるだけで奇跡だってすごいことなんだってわかったんです。

生命力ってすごいんです。

だから信じよう。


我が子は呼吸停止に陥りましたが生きています。

次章は呼吸停止になってからのおはなしです。

2.「今すぐに病院へ来てください」呼吸停止の知らせ(3歳の子供が急性弛緩性脊髄炎になった話)

10月の為替材料カレンダー★イチモク(ひとめ)で当日の材料が分かる★

  05, 2018 10:28
10月の為替材料カレンダー★


毎度です。いくで、やるで(n*´ω`*n)
毎月継続している為替カレンダー、10月分を更新しました。

201810カレンダさむね 

うららの為替カレンダーとは、
指標をカレンダー形式で時刻国別に書き込んでいるので
ひとめで今日の指標が分かる
名付けて【イチモクカレンダー】です

ちなみに重要度は色分けされており
あまりにも値動きに関連しないものは除外しています。無駄がない(。☌ᴗ☌。)★

今回のテーマキャラクターは
材料相場の「シヴァ」ちゃん。
インパクトを投下する彼女自身は非常に冷静であり
投資家としてはそうでありたい姿^^そんな彼女があたためる卵は
陽線の「ヨウ」と陰線の「イノ」のたまご。
これから何のインパクトが生まれるのか。。。

トルコが揺れ、ドイツ銀行のCDF問題が危ぶまれ
世界的大暴落の幕開けかと思われた先月。


トルコリラの急落はいったん落ち着いたかと思われているがはたしてそうなのだろうか。
↓日足ドルリラ
ドルリラ2

チャート画面XMメタトレーダー(MT4)

トルコエルドアンのインフレ制作は終わっておらずほとんどの取引でドルを使用しているトルコ。
ドル高リラ安の今、、ドル建ての取引、借金は膨らみ続けていますね。
風船はいつかはじけるのか。
↓週足のドルリラ
ドルリラ

チャート画面XMメタトレーダー(MT4)

未だサポートの上。このあたりのレンジはしばらく続きそうだが
よほどの経済政策のインパクトがないとひとえにリラ高にはなれない。ファンドの動向にも注目。
とうららは思うのだよ(`・ω・´)
評論家じゃないのでスルーしてね。
とまあそんな事があってインパクトをかかえたままの相場(アメリカドルにしても)なので
インパクトをやさしくあたためるシヴァちゃんを描きました。
寒いからね最近(←うらら雪国ですが超寒がりです毎日ヒエヒエです。)

201810カレンダさむね 





成功するためには「正しい実行」不可欠

今月の為替カレンダーに載せたトレーダーの名言はコチラ。

成功するためには正しい実行が不可欠。

またでてきましたね、ブライアン・ランド。
彼はいいこといっぱい言ってますよ。
8月の為替カレンダーでも登場しています。

彼は言います

「人間のあらゆる営みにあてはまることだが、
トレーディングに関して自身もたくさんのアイディアがあるし
優れたアイディアをもった人もたくさん知っています。

しかしそれを実行に移し成果をあげるのはごく一握りです。
成功するためには、継続、集中、熱意が必要であるから。
ゲームの雰囲気を楽しみたいし、お酒も飲みたいし、隣の人と会話もしたい。
トレーディングも同じで、マーケットで継続的に利益を出せる人が少ないことには、
退屈な作業を続けることがいかに難しいかを物語っています。」

コツコツしたことはやりたくないものです。
更にたまに遊び心でやってしまった相場で成功体験を積んでしまうと
同じ事を繰り返したくなるものです。
退屈といかに仲良くなるかがトレーディングの核心ですね。



経済指標カレンダーを保存


今月はあたたかみのあるパステルカラーでやさしく仕上げました。
201810カレンダーサムネ用 


毎日見てほっこりして
おだやかな気持ちでトレードができますように。
今月も頑張りましょう。
保存は以下からお願いします。

ご使用になる際、コメントや拍手にご協力いただけると大変励みになります。
今後も役に立つコンテンツを配信していきますのでよろしくお願いしますm(__)m★






為替カレンダーバックナンバーはこちら★






↓女性投資家ランキング(`・ω・´)


↓うららが使用している証券会社XM。
このところローカルバンク振込(通常の銀行振込)でもかなり
スピーディーかつスムーズに反映してくれるので助かっています。
あと他の海外証券も口座おいてますがここが一番完全なる日本語対応で
便利です。日本円建てで取引できるため取引も簡単ですのでおすすめします(n*´ω`*n)

What's New