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2.「今すぐに病院へ来てください」呼吸停止の知らせ(3歳の子供が急性弛緩性脊髄炎になった話)

  19, 2018 00:49
もくじ

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呼吸停止で集中治療室へ

検査入院2日目。2018年10月11日。

相変わらずベッドで横になったまま動かないK。

この日はリハビリのST(言語聴覚療法士)さんによる
嚥下の練習で
ゼリーを食べさせてもらう予定をしていました。
絶食が続き、ほぼ水分の点滴のみで過ごすKを心配に思うわたしたち両親が
ささやかながら楽しみにしていた時間でした。

3歳ということで、必ず付き添いが必要であるため、
病院の嚥下の練習前に、Kにはパパに付き添ってもらい、わたしは入院に際して必要な
泊まり込みグッズ(Kのパジャマやわたしの服、タオルなどなど)を更新しに家に一時帰宅しました。

(ちなみにですがミラクルなタイミングで、入院日はパート退職の日でした。
そのまま仕事を辞め病院の付き添いに入ったので、幸いなことに仕事の心配はありませんでした。
金銭的な心配はモチロンありますが)

家に帰って、さて必要なものは揃えたしあとはカバンに詰めるだけ。というタイミングで
電話がかかってきました。
主人からかと思いディスプレイを見ると

【県立病院】とありました。Kが入院している病院でした。

Kが突然弱るとは思えず、
病院側が取り急ぎ聞きたいことがあるとか
そんなことだろうなと思い電話をとったので
知らせを聞いて愕然としました。

緊急のため言葉を選ばずまっすぐ伝えてきた看護師さんの言葉が刺さりました
『Kちゃんの呼吸が止まって重症です。今すぐ病院戻ってください。くれぐれも道中気を付けてください』

え。呼吸止まる。。

重症。。

すぐ来てということは。。

その時わたしはちゃんとはい、はい。と間違いなく受け答えしていて
パニックにはなっていないもののなんだか思考の処理が追い付いてこなくて。
当時家で行っていた通販業の、当日中の発送業務もあったため
必要書類を素早く詰め込むほどの冷静さはあったはずなのですが
今になってこの時のことを振り返ると、
ショック過ぎて端々のことを覚えていない自分がいます。
少なくとも、後に荷ほどきした際ほんとに入れた記憶がないとか
どこに入れたかわからない現象はありました。


我が子の命の危機など夢にも思っていなかったのに、
突然にやってきた知らせ。
病院へ向かうため乗り込んだ車の中で

Kが死んじゃったらどうしよう。
なんでKなんだろう。私だったらよかったのに。
わたしは死んじゃったってかまわないからどうかかわりにあの子を生かせて欲しい
お願いだ。と非論理的な事を頭のなかで何度も繰り返したけど
一体誰に願ったらいいのかとふと思って
余計に悲しかったり。
こんなに衝撃的なことがあっても周囲の景色、空気は変わらないし、
誰しも衝撃的なことはご経験あると思うのでわかってもらえるかもしれないけど、、
あの時の、心と外界の温度差がなんとも言えず気持ち悪かったのを記憶してます。

冷静なんだかパニックなんだか、わたしは
泣きながらもちゃんと信号守って事故らず病院まで運転して駐車場にちゃんと停めたようです。不思議。
(記憶とか感情とか、短期記憶とか長期記憶とか。脳が担う部分がそれぞれ別だからなせる技ですね。
生きてるってすごいな。最近よく思う。ひとつひとつの人間の動作が奇跡だなって。)

病室につくまでに待ちきれず、車のドアを閉めた瞬間
Kに付き添っていたパパに電話しました。
『呼吸は?』とたずねたら

『今は呼吸回復した。さっき目が合ったはずだからたぶん意識もちゃんとある』

と伝えられて
あ、生きてる。目が合う。意識があるんだ。って安堵して
今度は別の意味でどっと涙があふれて
人目もはばからず
『うゎーん、びっくりした、ほんとうに心配した!!』
とわんわん言いながらはや足に病室へ向かったのでした。


病室へ到着すると、
主治医の先生たち(チーム組んでるので2人)が病室の外でパパと話しているところでした。
病室ではまだ処置が行われており両親も入ることができなかったため
気になって気になってしょうがないものの、必然的に先生たちの話をきいて状況把握に徹することになりました。

その時説明された内容は次の通りです。
・先日からごろごろしていた喉は
嚥下が弱っている証拠であったこと。
・その状態を放置すると誤嚥による危険があるため
・対処療法的に喉にからまるタンを取り除こうとしていたこと。
そしてそのタンを器官に落とし気道が塞がれて呼吸停止に陥ったこと。
・アンビュー(応急用の呼吸マスク。口と鼻を覆って勢いよく空気の圧をかけることで呼吸を促すもの)処置で呼吸回復し意識も戻ったこと。

後にこの時のことを、処置ミスではないかとパパは言いました。
なぜそのような危険な作業(本来看護師が行ってもよい処置だが)を
医師ではなく看護師に行わせたのかとも。
実はわたしもそれには同意見でしたが
過去を悔んでもしょうがないので、これからできることとして
・そのような処置は医師監督の元行ってもらうと医師に伝える
・元々嚥下が弱っていたのは確かなので処置があろうとなかろうといずれICU(集中治療室)だったと納得する
にいたりました。
(無事であったからこそ気持ちもおさまったものの
これが最悪の事態になった時には論理的思考などぶっとんでかなり攻撃的になっていることでしょう。本当はそれが原因でなくても。
他にもアンビューより前に誤嚥の応急をしないと肺炎の危険性がないのかとか頭をよぎりましたが
疑い出したらキリないです。
呼吸停止後1-2分で心臓が止まるので肺炎も軽度で脳に後遺症を残さなかったので心停止を引き起こさなかったことが結果的に良かったと思っています。)

できれば共に頑張って動いてくれる医師や看護師さんたちは疑いたくないものです。
人間相手なので、ただただ仕事、毎日の業務の一環だと思って淡々と処置されるのだったら
正直やめてほしいですが、
少なくとも親身になってくれる方々であったし痛めつけようとしているわけではないので。
協力関係が築けないと思うならその病院はやめた方がいいかもしれない。
今後の生活のことなどなんでもさらけ出すことになるし
(なんなら先生や看護師さんたちを車にも乗せて走ったし今度自宅にもいらっしゃっいます。
退院後の生活のためです。)
嫌なことは正直に伝えた方がいいとも思う。
わたしは最初の担当医さんを申し訳ないですがお断りしました。
彼にはききたいことが聞けないなと感じたからです。(あとノリが営業トーク。笑)
なんでも聞ける、なんでも言える。←これ大事。って、入院生活2か月めの現在ひしと感じてます。
この記事がこれから入院生活の方に参考になるといいなと願っています。


まわりみちしましたが、そんなこんなで
連絡を受けてから
Kに会えないまま、Kは集中治療室へ入ることになったのでした。
集中治療室へ移動が決まってから、
実際に移動し面会が可能になったのはそれから2時間ほど後でした。
集中治療室前の家族待合室で
心配でかけつけた親族と喋ったり
泣いたり、黙ったり、気遣いあったりしながら待ちました。


そしてこの日STさんによって食べさせてもらえるはずだったゼリーの予定は
なくなってしまったのでした。




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ICUへ移動してからの病状・投薬の概要

ICU(集中治療室)に移動した当初の様子はどうだったかと言うと。
点滴をしつつ酸素マスクを一日中つけていました。
意識はあるし、時々弱弱しく喋るものの明らかに起きている時間が短く、
ときどきふいに目をとじて
うたたねしているような状態でした。

脳波をとったら、3歳児にしては未熟でまるで眠っているかのように
波形が小さい脳波だと言われました(徐波。というほどでもないが弱い)
呼吸停止に陥ってから3日間ほどその状態でした。
うたたねするようにふと目を閉じるのは意識レベルの低下の裏付けのようでした。
(ちなみに2か月たった今現在の脳波はまるきり正常です。覚醒。)

というか目をとじるのですが、
片目は半目でしろめ状態でした。
それは顔の麻痺のあらわれでした。



マスクでからからになった唇は皮がべろりとむけて
歯は乾燥でまっしろになって
酸素のリークで目もしぱしぱしてさらに片目は閉じ切らず、気の毒でした。
小さな腕は点滴のための板と管がまかれたかまぼこ状態で、入院したときから変わらずずっと点滴を行っていました。
しかし点滴の内容は変わっていきます。後述します。
集中治療室へ入ったのを機に事が一気に動き出したというか
治療を焦るきっかけとなりました。

顔面麻痺もみられ意識レベルも低下。
脊髄系の炎症でこわいところは
一週間でガクッ!と悪くなるということ。
(事故などの外傷で一気に脊髄を断裂してしまった場合は
ステップを踏んで麻痺していく過程をすっとばしているので
炎症とは進行が違います。)

発症してから一週間で一気に症状が進行するそうです。
ICUに入ったのは発症と思わしき日から4日め。
たしかに、とんとん拍子に病状が悪化していくように見えました。

さらに、さいしょの記事↓でも触れたように
1・身体が動かない…。3歳のうちの子が急性弛緩性脊髄炎になった話
この病気に効果的な薬は現在の時点で存在せず
対処療法的アプローチしかなすすべがないのです。
だから悪化していくのを
死ぬな、悪くなるなと祈りながら見守るしかないのです。
でも、起きている炎症に対して炎症を抑える薬を投与できるのなら
投与してすこしでも悪化をくいとめたい!

検査結果の中には時間がかかるものもたくさんあります。
でも原因となる病気がハッキリ分かるまで待っていては
手遅れになってしまうので
考えられる原因をいくつか打ち出し
それらに効くであろう薬をかたっぱしから入れて
病気の進行を止めよう止めようとアプローチするんです。
だから
症状が悪化して悲嘆している場合ではありませんでした。
(もっとも、対処療法であるため脊髄炎で使用する薬はだいたい限定されてきますが)

両親であるわたしたちは、考えられる病気について
正しく理解し
処置について理解し同意する必要がありました。
気持ちが追い付いていかなくても
頭はちゃんと回転させなければいけません。
たくさん同意書を書きました。

中には、患者の情報を学会などで提供(住所や名前など個人が特定されるものは除く)
してもよいかという同意書もありました。
提出は自由ですのでこの時は記入しませんでしたが
後に情報の少なさを感じ他の患者さんの役に立てばと提出をいたしました。
(わたしたちは提出しましたが
感じ方も必要性も人それぞれですし、提出しないという選択も正しいと思っています。)


冷静で居なければいけないのに
気持ちはいっぱいいっぱいで
今思うと異常なくらいに涙腺ももろく10分に一度は涙が出そうになる日々でした。

Kが

みんなでおうち帰ってごはん食べたい。
って言えば切なくて涙が出るし

今はどう?よくなった?って誰かに聞かれたって
よくなるどころか悪化の過程を見守るしかできない現状に言葉がつまる。

毎日毎日ふーーっとため息をついて、涙をこらえてばかりでした。
でもほんとに、思い切り泣くことが必要だと感じます。
この時が一番親子ともにつらいと思うから
本当に泣ける場所があるなら
ひとりでも。できれば共感してくれる誰かと。
たくさん泣いてください。

もし同じような状況のお母さんがいらっしゃるのなら伝えたい。
気持ちがおいつかないのは自分が悪いんじゃなくて皆同じです。
心配してくれる人はたくさんいるけど
イチバンその子を愛してるのはお母さんなんだから
イチバン取り乱してあたりまえです。泣いてもいいです。
大泣きして大丈夫いたって自然なポジションです。
がまんばかり、しないでくださいね。





ステロイドパルス投与
ICUに入ってから変わったもののひとつに点滴の内容があります。

このステロイドパルスとは脊髄炎ではポピュラーというかよく使用される薬です。
抗炎症作用、免疫調整作用があると言われています。
このとき原因となる病名ははっきりしておらず、
診断書をいただいた際は『脳脊髄炎』という名で
広範囲でぼやっとした診断名でありました。

髄膜炎にしろ脊髄炎にしろ、このステロイドパルス療法は効果がみられるということで
原因がはっきりしなくても投与すべき薬として推奨されました。
同意書を書いて最終的に決断するのは両親でありますが、同意するしか選択肢はありませんでした。
悪くなり切ってしまってから投与したところで、
発症以前の状態に戻すための薬ではないため手遅れになってしまうからです。
一刻も早く、薬の効果より足のはやい病気をくいとめるために早期の投与が求められました。
後遺症の説明もありましたが現状がどんどん悪くなることを思うと
副作用の危険性より投薬のメリットの方が圧倒的に高いと判断し
トントンと書類を書いていきました。

ステロイドパルスは容量が決まっており、一日2時間程度の点滴を
3日分けて行います。
3日間の投与で1クール(1期分)となります。

この3日間が終わって効いてくるのですが、この期間が本当に長いです。
その間にも病状は悪化していくので
薬に意味があるのかもわからず不安になってしまいます。
本当に忍耐の日々です。

ICUには付き添い入院という制度はないため、面会というカタチで会うことになります。
毎日毎日、ICUに通い朝から晩まで付き添う日々。
(本当は面会時間15分とか決まっているんですが、3歳ということと、
母の言うことじゃないとあまりきかない、母が居ると穏やかに過ごせているとの看護的視点から
特例で入りびたりを許されていました。申し送りの時間も。懐の広い方たちに感謝しています。
)
1クール終えたところで病気の進行の足がだいぶ遅くなったのを実感しました。

担当医さんとそのチームの方たちは、軽率なことは言わないので
進行がとまりましたとは絶対に言いませんでしたが、
このへんが折り返し地点(悪化が止まり回復へ向かう)なんだろうな。というのは
毎日様子を見ていたらなんとなく感じ取れました。

ちょうど、危険だとされていたはじめの一週間が終わった時のことでした。

この時Kはまだ水分の点滴と酸素マスクをつけており
麻痺は上半身と腕、首、顔面の片側に広がっていました。
両腕ともだらんとして左腕にいたっては指を動かすこともほとんどできず
首の座らない赤ちゃんのように首もふにゃふにゃ。
片方の目は閉じるとあいかわらず半目状態で
ごくたまに笑顔をみせる時があっても、
口角が上がるのは片側の顔面だけ。喋り声もとぎれとぎれの単語分で
小さな細い声でした。
腕や首を触ると、涙を流して痛がりました。


ステロイドパルスは1クール目を投与してから一週間期間を開ける必要があります。
というか連続して投与しても効果がみられないんだったか。
2クール目の投与を開始しようと思うと、
さいしょの投薬から一週間なので、1クール(3日間)終わったときにはすでに3日たっているという計算で、
実質1クール終了から4日後の投与となります。

Kはステロイドパルスを2クール行いました。
今後おそらくすることはないと思われます。

1クール目で悪化の進行が目に見えて遅くなったこと、
アレルギーなど副反応がおこらなかったということを踏まえて
投与して悪いことはないから、と2クール行うことになったのでした。


現在ICUを出て一般病棟へ移り、
退院の日にちを決められるかという段階で記事を書いています。
次章はICUから一般病棟への道のりとリハビリについてなど書ければと思っています。
わたしは親の立場ですが、看護する方の切実な気持ちが分かる分、すこしでもこの病気
急性弛緩性脊髄炎と戦う方の力になれればいいなと思っています。





↓この記事は2章目です。1章目は下記リンクです。
1・身体が動かない…。3歳のうちの子が急性弛緩性脊髄炎になった話

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